興味津々

至福の時を過ごそう

感謝と恩返し

半沢直樹部長が、人生に大事なのは感謝と恩返しとおっしゃった。昨今よく使われるこのフレーズで、かくゆう私も、今の仕事を始める時に、まさにこの事を思って始めたものだ。

感謝。今まで携わってきた全てのことに対して感謝の気持ちを持つこと。これはかなり難しい。例えば、管理職昇進を目の前にしていた時期、目立った実績のない私はどんどんと後輩に追い抜かれていった。人事面談の度に"お前は優秀だと思うよ。"と言って流していた上司たち。人事の担当者が、"我が社は専門家を育てる会社ではない。管理者を作る会社なのだから、専門領域などにこだわっていては会社の求める管理者にはさせない。"などと言っていた。

こんな奴らに感謝の気持ちが湧くのかな?倍返しは思いついても。

ここからが大切。その様な事実を俯瞰して見ることができる様になったのは、今までの人生で関わってきた全ての人が私に下さった支援や助言、経験などのおかげ。感謝、感謝である。

人生三毛作

 民主党政権時代に、40歳定年制を提起して議論を巻き起こした。提言の中心的役割を担った柳川範之東大教授の働き方進化論、社会保障で学び直し支援の記事を読んで、人生を20歳から80歳まで20年ごとに3ステージにわけ「人生三毛作」を目指すことが必要だ。という意見に注目した。

 思い起こしてみれば、新卒の就職活動時代、特級の技術も問題意識を持つわけでもなしただただ就職という次のステップへの移行に他人に遅れを取らないように、他人より少しでも得をする会社に進むようにとしか考えていなかった。その結果、自分の意思ではなく時の流れで決まった入社。入社後訳もわからず時に流され働いていた時期、残業代を少しでも多くもらいもらった分だけ遊ぶ。毎日楽しく遊び散財してまた翌日会社にゆく。そうしているうちにバブル時代がやってきてますます散財はエスカレートしていった。そして、気がついたら世の中はバブル崩壊で、今まで光り輝いていた張りぼての社会はみるみる崩れていく。こんな能天気な第一耕作時代

 培ってきた経験をもとに新たな分野への挑戦を求められる時代になり、苦し紛れに挑戦を繰り返すがそもそも土台となる技術のレベルも大したものではなく、持ち合わせているものは経験と人脈でそれに頼っているだけの空回りの時代。それでも「投資は所詮は博打のようなもの。どうせ博打を打つなら、社会の役に立つことをしたい」という言葉に感銘し一念発起して、あらたな人生の選択をした第二耕作時代。

 記事にもあるように、セカンドキャリアを支援する教育は必須。リカレント教育の機会を捉えて社会活動で培った経験をもとに必要な知識やより専門的な知識を蓄えてセカンドキャリアへ進む。個人的な課題であるが、閉塞した社会環境にある時代に社会が環境を整え個人の挑戦を支援する仕組みがあると良いと思う。

 そして第三耕作時代に突入した現在、少し立ち止まってこれからどのように生きていくか、残された自分の時間をどのように使っていくかを描き、それに必要な知識と技術を再度習得していくことが必要だ。「所詮は博打のような人生。どうせ使うなら社会の役に立つことをしたい。」

日経新聞10月31日記事

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20191031&ng=DGKKZO51611420Q9A031C1EE8000

京都の愉しみ

「京都人の密かな愉しみ」を見てからというもの京都が好きになった。NHKのTV番組で京都人ならではの四季の愉しみをドラマ仕立てにしてみせる。職人気質の京都人をパン職人や庭師、板前を目指す若者を通じて先祖から受け継ぐ血のようなもので表す。私のような根無し草は「なるほどね」と簡単に納得してしまう。

  早朝、相国寺を散歩していた時、通勤通学と思われる人たちが、なんと国宝相国寺の庭を自転車でかっ飛ばして通り抜けていくのを見て、国宝級の歴史であってもそれが生活の中に普通に存在するのだ、それが京都なのだ。とおどろいた。京都人にとっては、日常の風景なのである。そんな京都人から見たら、寺や神社を拝んでありがたがっている観光客などとちょっと違うんだよね。となるだろうね。

「京都人は心を開かずよそ者を排除する排他的な人種である。」といわれる理由についてあれこれ考えていくうちに、京都という土地が持つ特殊性が折り重なってできてきているのではないかという思いに至った。それは日本の都であり、文化の中心であり、歴史的にもど真ん中を進んできた京都だから他とは少し違うのだというプライド。そんな上から目線的なプライドを持つ京都人が私は好きである。

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世の中ついでに生きてたい

「たかが噺家じゃないか、おまえ、だから気にすることないよ。落ちぶれたって、たかが噺家だよ。大きな会社の社長が乞食になるんじゃない。噺家なんだから、おまえ、出世したって噺家だし、落ちぶれたって噺家だ」  古今亭志ん生の名言だそうだ。息子の古今亭志ん朝が、大変悩んでいる時に、おやじのその言葉を聞いて、ああ、そうだなぁ、じゃ、そんなにきにすることないなと思ったという。

 志ん朝は大変真面目な人だったようで、きっちり稽古して話を作っておかないといけない。そこへいくと志ん生は朝から酒飲んでご飯を食べて大きなネタでも平気な顔して出かけて行って、高座をパーっとやる、ような人だった。しかしそこには、志ん生の生い立ちや生活環境、遊びや芸事の経験など人生で培ってきたものが反映されて出来上がっているのだ。

 落語は江戸の時代の庶民の生活の中から産まれた話が多く、吉原や花魁など今では存在しないことが多い。それを言葉だけで観客に想像させなければないない落語家は、自分の持つ経験を土台にして表現しなければならないから、芸の肥やしも大切なのである。所詮馬鹿馬鹿しいお笑いの一席なのでやはり真面目ばっかりではならないのだろう。ぞろっぺいがいいらしい。

 働き方改革や2000万円不足問題やらどうも今までの習慣を揺さぶったり不安を煽ったりする輩が多い事に閉口してしまう昨今、もっと心の底から湧き出る感覚を引き出す言葉が欲しいと思っていたら、見つけたのが「ついでに生きてたい」だった。出世してもサラリーマン、落ちぶれてもサラリーマン」である。

 

世の中ついでに生きてたい (河出文庫)

世の中ついでに生きてたい (河出文庫)

 

 

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三渓園と隣花苑

池波正太郎の「食卓の情景」に「横浜の一日」という章がある。男四人で本牧の「燐花苑」に出かけ飯を食う話である。

この燐花苑には一度行ったことがある。年末も押し迫った頃、「バラが咲いた」で一世を風靡したマイク真木のライブがここであり、先輩に誘われて行ったのである。燐花苑は、三渓園の近くにある古民家のお料理屋さん。

「食卓の情景」によると三渓園は、原三渓こと原富太郎が明治三十九年初夏に開園した庭園で、江戸初期の紀州徳川家の別邸であった「臨春閣」をはじめ重要文化財視点の建物が散財している庭園である。原翁は今日の日本画壇にも多大な影響を与えた美術愛好家として有名である。

この三渓園に隣接してあるのが燐花苑で、ここのお料理は、お刺身、野菜の煮物、揚げ物など昔の趣のある家庭料理で、中でも原三渓翁のお好みであったという三溪そばという汁なしそばが有名である。庭を眺め、落ち着いた趣のある調度品を眺めながらゆったりとした時間を過ごすと、池波正太郎が食を楽しみ、酒を楽しんでいた頃にタイムスリップする。

今から思えば「食卓の情景」を読んでおけば、お料理の味わいもさぞ変わっていたことと思う。

 

池波正太郎「食卓の情景」

 

 

本牧燐花苑はここ ようこそ隣花苑へ

厳谷栽松 厳谷に松を栽える

高僧 臨済和尚の禅語です。NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」のセリフに出て来た言葉です。木を切りすぎて山崩れを心配し土木工事の必要性を感じ、領主に承諾を得ようと交渉に行くものの金がかかりすぎると渋る領主に「後世に名を残すチャンス」と説得するときに直虎が使った言葉で、これにより領主が承諾する。

 

武功を立てようと自らの強みである木材の提供を行ったもののその後のことを考えずに山の環境を破壊してしまったことにより、山崩れや洪水などの危機を迎えることになるですが、ここで新たに植栽をすることで環境を新たに創造することになります。植栽は成長するまでに長い年月がかかることから自らがその利得を得ることにはならないが、後人の為になります。

 

禅に「結果や効率を求めない」の考え方であって「自分は自分の為すべき事をなすまで」という思いが現れているそうです。

 

結果がどうなるかわからないが、今やるべきことに集中してどんな環境でもやり遂げる。という前向きな考え方につながります。結果が自らをなしているものを破壊することになるとしても、今それをやることが必要だと考えたなら、それを成し遂げること。それによって新たなことが作られていくのでしょう。

 

破壊は創造の始まりに会い通じることだと感じました。

 

おんな城主 直虎 完結編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)

つくることは、こわすこと。

積木を積み上げてオブジェの製作中。多くのスタッフとたくさんの積木を使って黙々と作業を進めている。イベントが終わればこわすことになるのに。

 

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今までの経験を基にして新たなものを作ろうとする時、経験がむしろ邪魔をすることがあるのではないだろうか。その経験が大きいものであればあるほど邪魔になるものだろう。苦労して築き上げてきたものを容易に壊すとか難しいが、敢えて壊す勇気があれば、新たな世界に飛び出すことができる。

 

200万年前、木の上から降り地上で暮らすことを選択したホモ・サピエンス、住み慣れたアフリカの大地からオセアニアに移り、ジャングルや極寒の地まで移り住んで来た。その間、習慣を壊し新たな果実を手に入れてきた。その繰り返しの中に大きな成長、獲得があった。

人間が行ってきた最も重要な行いであるだろう。

CREATION is DESTRUCTION