興味津々

至福の時を過ごそう

世の中ついでに生きてたい

「たかが噺家じゃないか、おまえ、だから気にすることないよ。落ちぶれたって、たかが噺家だよ。大きな会社の社長が乞食になるんじゃない。噺家なんだから、おまえ、出世したって噺家だし、落ちぶれたって噺家だ」  古今亭志ん生の名言だそうだ。息子の古今亭志ん朝が、大変悩んでいる時に、おやじのその言葉を聞いて、ああ、そうだなぁ、じゃ、そんなにきにすることないなと思ったという。

 志ん朝は大変真面目な人だったようで、きっちり稽古して話を作っておかないといけない。そこへいくと志ん生は朝から酒飲んでご飯を食べて大きなネタでも平気な顔して出かけて行って、高座をパーっとやる、ような人だった。しかしそこには、志ん生の生い立ちや生活環境、遊びや芸事の経験など人生で培ってきたものが反映されて出来上がっているのだ。

 落語は江戸の時代の庶民の生活の中から産まれた話が多く、吉原や花魁など今では存在しないことが多い。それを言葉だけで観客に想像させなければないない落語家は、自分の持つ経験を土台にして表現しなければならないから、芸の肥やしも大切なのである。所詮馬鹿馬鹿しいお笑いの一席なのでやはり真面目ばっかりではならないのだろう。ぞろっぺいがいいらしい。

 働き方改革や2000万円不足問題やらどうも今までの習慣を揺さぶったり不安を煽ったりする輩が多い事に閉口してしまう昨今、もっと心の底から湧き出る感覚を引き出す言葉が欲しいと思っていたら、見つけたのが「ついでに生きてたい」だった。出世してもサラリーマン、落ちぶれてもサラリーマン」である。

 

世の中ついでに生きてたい (河出文庫)

世の中ついでに生きてたい (河出文庫)

 

 

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